下岩田一里塚跡
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江戸時代に街道筋の距離を知る目安として一里(約4km)ごとに設けられた「一里塚」。それぞれ周辺には、一里塚の場所が遠くからでもわかるように、榎や松、杉などの大樹が数本植えられていたそうです。
この一里塚は久留米藩城下の「札の辻(ふだつじ)」を基点に、小郡では「下岩田」「干潟(ひかた)」の2所に設置されています。

■住所

小郡市下岩田

■電話

小郡市埋蔵文化財調査センター 0942-75-7555

御井郡・御原郡境石
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この郡境石は、1829年、当時の平方に設置された御井郡平方(ひらかた)村と御原郡古飯(ふるえ)村との境界を示す標識。境石の正面に「北御原郡、従是北四百六間古飯村丁場、南御井郡」と三行の記銘が彫られています。
小郡市内には郡境石はこの場所しかなく、境界石の高さは80cm程度と意外な程、小さいのが特徴です。

■住所

小郡市平方

■電話

小郡市埋蔵文化財調査センター 0942-75-7555

上岩田遺跡
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ここには7世紀後半頃、規則正しく建ち並ぶ堀立柱建物(ほったてばしらたてもの)や、寺院の金堂と思われる基壇を持つ建物などがありました。遺跡の発掘調査によって瓦や硯、文字を記した土器、帯をかざる金具などが見つかっており、古代の役所としての機能と、寺院としての機能を備えた場所だったと考えられます。

■住所

小郡市上岩田

■電話

小郡市埋蔵文化財調査センター 0942-75-7555

上岩田老松神社
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太宰府天満宮と関わりが深いと考えられている「上岩田老松神社」。神社には、市指定無形文化財の注連(しめ)ねりや市指定有形文化財の五重石塔が残り、古くから地域に密着した信仰のようすを感じることができます。
石塔は、元徳2年(1330年)岩田庄の住民たちの安泰と幸福を願って造られました。

■住所

小郡市上岩田

■電話

小郡市埋蔵文化財調査センター 0942-75-7555

松崎城跡
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本陣跡から桜馬場へ進んだ所に立つ「松崎城跡」の石碑。1668年、有馬豊範(とよのり)が、久留米藩から分領を受け11万石の松崎藩」として独立。
1671年には松崎城が築城されましたが、松崎藩の歴史は短く約16年間で終わり、城もわずか14年で崩壊。しかし、松崎宿は久留米藩の最北に位置することから、明治維新まで繁栄しました。

■住所

小郡市松崎

■電話

小郡市埋蔵文化財調査センター 0942-75-7555

松崎桜馬場
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旧松崎城館の道筋は山桜とソメイヨシノが植えられ、桜馬場と名付けられました。
そこは武士たちの流鏑馬(やぶさめ)の神事の場所であり、平時は馬の訓練の馬場としていました。現在では、約270mの通りに100本を超える桜並木があり、毎年3月下旬には桜祭りが行われ、並木が桜のトンネルになって多くの人を魅了しています。

■住所

小郡市松崎

■電話

小郡市埋蔵文化財調査センター 0942-75-7555

野田宇太郎詩碑
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1985年に建立された野田宇太郎詩碑。
小郡市出身の野田宇太郎は、1930年から詩作を開始し、1951年、『新東京文学散歩』を連載。
その単行本がベストセラーとなり「文学散歩」のジャンルを確立。1976年には芸術選奨文部大臣賞を受賞。その後は博物館明治村の常務理事を務め、1977年には明治村賞と紫綬褒章を受賞しました。

■住所

小郡市松崎

■電話

野田宇太郎文学資料館 0942₋72₋7477

  • 諸大名が参勤交代に用い、幕末の志士も往来した薩摩街道。指定文化財の「松崎宿」や「高松凌雲生誕の地」など、歴史が歩いた足跡を、あなたの足で辿っていくコースです。

全長距離 14.9㎞
全所要時間 2時間29分

西鉄津古駅

1.7km、17分、51kcal

筑後・筑前国境石と大楠

4.3㎞、43分、129kcal

霊鷲寺

0.7㎞、7分、21kcal

松崎宿

0.7㎞、7分、21kcal

高松凌雲生誕碑

5㎞、50分、150kcal

光行土居

2.5㎞、25分、75kcal

西鉄古賀茶屋駅